toggle
2019-07-17

「はらたけしの……海道をゆく」Vol.1

” 人間は、時として、充たされるか充たされないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまふ。その愚を哂わらふ者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。”

遠い昔に読んで以来、ずっと頭の片隅に棲み続けている芥川龍之介の「芋粥」に出てきたこの言葉がまた、よりによってこんな時に浮かんできた。

 

こんな時に、というのはアイルランド南端のFastnet Rockを目指して残り200マイルほどの大西洋上でヨットのマストップに上っている時ということ。突然失ったメインハリヤードの修理で上る羽目になったのである。

クライミングハーネスを付けてマストに上るなど、とうの昔に卒業していたはずだったが、その故障の瞬間、自然に、マストに上ることが私のやらねばならない命題となった。

Fastnet Rock

Fastnet Rock
30年前の1989年にFastnet Race で回航して以来だった。回航時に40ノットの風の洗礼を受けたレース後プリマスのホテルで、もう2度と外洋レースなどするまい、と誓ったのだったが……。どこか神子元島に雰囲気が似ている妖しく荘厳な雰囲気の灯台である。

 

遡れば3月の末、私がやっていたバー Cabo de Hornos に突然北さん(北田)が現れた。

後で聞けばボートショーの流れで、宜野湾に住む私の友人である伊良波一郎との待ち合わせだった。その夜珍しく私の店は繁盛して、北さんともカウンター越しに何杯もウィスキーを飲み交わした。

それ以降、私の店のイチオシメニューだったキーマカレーを食べに何度か店に足を運んでくれて、彼の今までしてきたClass40による北大西洋でのシングルハンドの冒険談をたくさん聞くことができた。そして今年10月末にスタートするダブルハンドの大西洋横断レースTransat Jacques Vabre (フランスのル・アーブル〜ブラジルのサルバドール間の4500マイル)の相棒を探しているという話を聞いたのだった……。

 

  その話を聞いて以来、私はバーの仕事が手につかなくなった。25年以上も前に、クリス・ディクソンからWhitbread 世界一周レースの誘いを受けた時の心地が蘇った。

 

既にクオリファイ済みの何人かの相棒候補とは違い、たったの1度も北さんとレースどころかセイリングすらしたことのない私には1000マイルのクオリファイが必要だったので、6月の後半にフランスへ渡り彼とダブルハンドでのトライアルセイリングに出かける必要があった。 7月と8月はLK6でTranspac 出場と日本へのデリバリーの仕事が決まっていたから、6月のフランス行きと、もし T.J.V. の相棒に決まりその準備とレースに費やされる9月から12月初旬まで入れれば、約半年は店を休まなければならなかった……。

 

何の保証も約束もなかった。しかし何の迷いもなく、と言えば嘘になるが、私は4月の後半には店を閉めることを決めていた。そして6月1日に閉店後、ブルターニュ半島の南の付け根に位置する、フランス外洋レースの聖地とも言えるロリアンに向かったのだった……。

 

  揺れ続けるマストのてっぺんで、なんとかメインハリヤードの修復を済ませて西の空を見渡すと、遥か水平線の彼方には通り過ぎていった嵐が連れて行った雲が朝陽で橙色に色付けされて輝いていた。そして、こんな時いつもこう思うのだ。

(こんなバカなことをしているのは今、この瞬間、世界中探してもオレぐらいしかいない!と…)

 

  1000マイルのクオリファイはT.J.V.のレース委員長が指定した、ロリアン からスペイン沖のポイントを周り、Fastnet Rockを回航してロリアンに戻るというもので、GPS(yellow Blick)でそのパフォーマンスを随時チェックされるという厳格なものだった。

途中、40ノットに迫る嵐のような風に2度遭遇して、ウィンデックスを失い、メインハリヤードを故障し、スピードが鈍って1週間にも及んだけれど、無事終了してレース委員長からクオリファイ認定を受けることが出来た。

これで、私がT.J.V. に出場する候補の一人になるにはWorld Sailing 主催のメディカルコースの受講だけとなった。

  もしこの文章が世に出ているとすれば私は北さんと組んで正式に、10月27日にスタートするこの世界最高峰のダブルハンドによる大西洋横断レースをClass40<貴帆>で目指しているはずだ。そして、そのスタートを迎える日には56の私と55の北さんの歳を合わせると111歳!になっている計算だ。

  その愚を哂わらふ者はわらえばいい、私はやはり路傍の人にはなりたくない……。

2019.7.4    上野恩賜公園於
TAKESHI HARA

原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載することになりましたので、お楽しみ下さい。

ほかの記事を読む
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。