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2025-05-24

小笠原レース2025参戦記【Thetis-4 児玉萬平】

2025年4月26日にスタートした小笠原レース2025に参戦されたJOSA理事の児玉萬平氏からThetis-4参戦記が届きました。JOSAはJSAFと小笠原レースを共同主催しており、児玉理事は実行委員としても準備に携われました。児玉氏の人生を変えるきっかけとなり、今もなお続く小笠原への航海の魅力を書いていただいています。ぜひお読みください。


文・写真提供:児玉萬平氏

フィニッシュ後のThetis-4
フィニッシュ後のThetis-4(小笠原レース実行委員会撮影)

始めに

初めて自艇で小笠原に向かったのが22年前のゴールデンウイーク、ThetisⅢ(U38)で私、伊藤望君、高校生の息子の3人が乗り組んだ。久しく小笠原レースが行われていない時期で純粋なクルージングではあったが、八丈島の沖で強風に阻まれ一旦は神奏港に逃げ込んだけれど、その後に凪いだ海から孀婦岩も見ることが出来た。この航海が特に思い出深い航海になったのは、それまで30年近く働いた大手企業を辞めベンチャー経営に身を投じるきっかけとなったからだ。方針を巡って社内トップと対立し悶々としていたが、小笠原に向かう海路の海と空の大きさに圧倒され、悩んでいる自分がばかばかしくなって、装備したばかりの衛星電話の先にいる人事部長に向かって「俺、会社辞めるわ」と伝えた。

以来、自艇、そして友人の艇で小笠原レースが行われる度に、この大きな海を行き来することになった。そして今回、2025年大会も特に考えるまでもなくエントリーの表明をしていた。一方、昨年2024年はわが艇にとって受難の年であった。アリランレースでバウスプリットを壊し、五島列島からの帰路では黒潮の中で大波にたたかれて隔壁とハルが剥離し、パールレースではウインチのドラムが飛んでシャフトが曲がった・・修理に明け暮れ、まともに走る機会が全くなかった。さらにエントリーを決めてからも3か月間の上架整備を行い、下架して初めての練習日が初島卯月レースの本番だった。それでもIRC総合4位、クラス3位に入り、小笠原レースを前にして幸先が良いかもしれないと思い始めた所だった。

ライバル

今回のライバル艇は6艇、少数だがいずれも強豪のチーム、どの艇が勝っても不思議が無い。

最有力のCrescent IV J121、平井オーナー以下練達のクルーが乗り組み多くの実績を上げている、この艇について行ければそこそこの成績が得られるだろうと思っていた。

Hanamizuki MAT1220、前艇では様々なシーンで前後を競いあっていたが、新艇になって日々練習を重ねられ、我艇とは同じ舞台では競えない立場になってしまった。

OceanBoy Farr40、北海道からはるばる参戦し往復2000マイルを走る。中村オーナーの強力なリーダーシップのもとに集まった活きのいい若手セーラー軍団で、極寒の室蘭で行われたサバイバルトレーニングでは私も彼らと一緒に訓練を受け、そして呑んだ仲間だ。

STARDUST X41、長距離レースの舞台では必ずといっていいほど存在感を発揮する、オーナー矢口さんはじめ経験豊かなオールドソルト集団、同世代セーラーに親近感を持つがレーティングも近くガチの対戦相手だ。

BITTER END SWAN40、若きスキッパー鈴木裕介君が指揮し、ベテランクルーが着実にそれをサポートする、私もナビゲーターとして沖縄―東海Rや小笠原Rに同艇に乗り組んだ、一方でわが艇のパラオ遠征には、かのメンバーが参加してくれる、そんな仲間同士だが、実力を知っているだけに潜在的脅威を感じていた。

Thetis4チームとワッチシステム

さて、わがThetis4はというと船齢22年目のFirst40.7、何十年来一緒に活動してきたシンジケートメンバーである児玉、伊藤望、高木信之の3名を核にして、パラオレース参加組であるが日頃は他のチームやウインドサーフィンで活動する堤亮介、西田耕士の2人、J24や小型キールボートに乗り組む女性セーラーの中では名の知れた存在だが今回2回目のオフショアーレースとなる橘田佳音利、沼津に自身の41ft艇を所有するクルージングセイラ―だが本格的オフショアーレースは初体験という吉川正敏の7名が乗り組んだ。 わが艇のワッチはちょっと珍しく、私を除く6名が順に1時間ごとにワッチに入り3時間オンデッキ、終わりの1時間ヘルムを取ってから3時間のオフになるというローテーションワッチを採用している。つまり経験のないクルーも必ず1時間はヘルムを取る、とは言え荒天で操船が難しく自信が無い場合は自己申告でワッチキャプテンである伊藤・高木、あるいは児玉に代わる。もちろん、レースに勝つには上手なヘルムスマンに舵を預けるのが常識だが、せっかくの機会だから皆が楽しんだ方が良いという方針を貫いている。言ってみれば、ちょっと緩いわが艇ならではのルールだ。

ルーティング

2日前のPredictWind、予報が定まらない

今回のルーティング(コース取り)の判断は難しかった。様々なルーティングソフトがあるが、経験的に緻密すぎるコースを提案するソフトよりは多少の経験値を加味できるソフトの方が使い易いと判断しPredictWindをよく使っている。ところが、スタート2日前の時点になっても各気象モデルの解がバラバラなのだ。スタート直前には漸く各モデルが収斂してきたが、スタートの日の夜間に35kt超のSEが、3日目の夜間にも40ktの前線が通過する予報だ、その間、SEからの軽風域(と言っても10kt超)が行く手を遮っている。まさに前線通過による風向の変化を予想しながらこの軽風域のどこを走り、何時タックすべきかが勝負の分かれ目になると感じた。大まかには最初の夜は無理をせずできるだけ南下し、軽風域の真ん中は避けその西側を南下し、更に鳥島を越え風向きが変わる前の時点でタックし小笠原に向けるという方針を取った。 結果論から言うと、鳥島を越えて南下するコース(ポートタック)を長く引きすぎフリートの中で一番長い距離を走ることになった。あと一ワッチ(3時間)早く東に向けタックすべきだったが、その時はそこそこ良い判断だと思いこんでいた。

艇長会議・前夜祭

わがホームクラブである小網代ヨットクラブでの艇長会議、安全ブリーフィングはそれまでの実行委員会による内容の詰めが適格だったおかげか、簡潔で実質的な会議となった。前夜祭も飲み物、食事が豊富にあり、三浦OSC、小網代ヨットクラブのメンバーのホスピタリティーのおかげで楽しくも多少の緊張をもった会となった。前回、その後の二次会でボトルを空け二日酔いの状態でスタートし往生した反省を踏まえ、艇に泊まるメンバーは早々に引き上げ静かに一杯だけあおって就寝することにした。

わが艇の食事

前回2023年の大荒れのレース中でストーブのジンバルが外れて壊れ、風が落ちるフィニッシュ寸前まで暖かい食事がとれなかったことから、昨年の冬にギャレーを大改造し、重いオーブン付きコンロを外しIHコンロと電子レンジを導入、オール電化とした。これによってごはんパックとレンチン用具材の組み合わせを各自ワッチ明けにチンして暖かい食事をとることにした。そうは言っても最初の2日目までは食が進まず、ゼリー、バナナ、リンゴなどを取っていたが、唯一例外は全く船酔いを知らない吉川で、ワッチ明け毎に様々な組み合わせの食事を楽しんでいた様だ。ビールは常備在庫に加えて2ケースを積み込んだが、結局私だけが、わがソウルフード柿ピーをつまみに、寂しく一人宴会をしていた。橘田、吉川も普段は飲む人達だが見習いワッチの緊張からか手を付けなかった様だ。

Thetis-4の出航前ミーティング(藤村宣武氏撮影)
Thetis-4の出航前ミーティング(藤村宣武氏撮影)

スタートとトラブル

4月26日晴天、スタート当日は8:30集合。メンバー揃って小網代湾奥にある白髭神社に安航を祈願に行く。その後のトラブルを考えるとお賽銭がちょっと足りなかったかな。

9:00出航、ストームジブ・トライスルのデモンストレーションに向かう。前回大会から採用されたイベントだが、ファストネットレースでは400に近いレース艇がオレンジのセールを上げてコミッティーボートに向かう姿がまるでオレンジの羽を広げて海上を往く蝶々の群れの様で楽しかった、が残念ながら6艇ではその楽しさは味わえない。

最後尾でスタート Bulkhead Magazineより

応援艇も多く集まってきて、大きな声援を受けながらスタートラインを流し始める。NE6ktの風ではファーリングジェノアを展開しないと8.3トンの重量艇を前に走らせられない。ハリヤードを上げきってラフテンションを掛けたとたん、ガーンという音とともにファーリングジェノアのラフが弓のように弛み、スタートラインに上れなくなった。その時スタート3分前のコール。確認するとファーリングジェノアのタックを留めるベルトが引きちぎれていた。大急ぎで応急処置をし、ラフテンションを掛け直し、走らせ始めたが時既にスタートのホーンが鳴った後だった。最初の回航マーク、小網代灯浮標には全艇の後塵を拝し最後に回ることになり地元艇としては甚だ恰好が悪かった。スタート前に起きたトラブルを運が良いととるか悪いととるか、これからの困難を考えると穏やかな海況で起きたことに感謝、夜間荒天時に起きたらとんでもないことになっていた。やはり運が良かったのだと考えることにした。

八丈島沖はトラブルの巣

最初の夜は、予報通りSEの風25~30kt、最大35ktの風がフリートを襲った。まだ序盤、ここで無理することは無いので目標方位は気にせず、少しベアしてスピード重視で南下した。この三宅島から八丈島の南にかけての海域は魔の海域で、過去多くのレース艇がトラブルに直面し、深刻なダメージを受けた例が多い。今回も半分にあたる3艇がセールや乗員の損傷を被り足踏みすることになった。一方でトラブルを上手く避けて南下できた艇が順位を上げ、Thetis4も八丈島通過時点で2位についていた。

八丈島と八丈小島の間を通過
八丈島と八丈小島の間を通過

二日目27日未明、低気圧通過と共に風がNWに変化し、風速も徐々に落ちてきた。軽風帯に入って来たが、軽風域の縁を狙い西に出していたせいか10kt以下に落ちることはなかった。風向の振れが大きく、フライングジェノアかコード0かの選択が続き、気が休まらない。夜中から三日目28日の未明にかけて風向がS~SEに変化して行き、タックするかどうか迷うところだったが、方針通り軽風域の西側を南下する。そして夕方から夜間にかけて再び20kt超に吹き上がり始め、時に大雨と共に40kt手前まで吹き上がる、前線通過だ、NO4(Heavy weather jib)をリーフしNo5としてやり過ごす。ジブリーフはわが艇のダブルハンドレース用の荒天技術だ。

この前線通過の最中、オフショアーレース見習いによるヘルムスにあたり2回続けてワイルドタックを食らった。風上のセティーバースに寝ていた私は一瞬浮き上がり。そのまま風下のバースに向かって落ちて行った。ワッチオフの伊藤君が寝ていて犠牲者(クッション代わり)になってくれなかったら確実にあばらを骨折していただろう。これが2回続いて、さすがにヘルムス交代を怒鳴っていた。

3時間早くタックしていれば(タラレバ)

4日目29日未明、予想より早く風向がSWに変わり直接小笠原に針路を向けられるようになった。風が弱くなりA2Runnerを上げ、追走してくるビターエンドをかわすべく追い立てた。夜間に入ってもA2⇒C0⇒ファーリングジェノア⇒A3と目まぐるしくセールチェンジを繰り返す。

小笠原レース2025航跡
TracTracより

5日目30日Nの風、小笠原に近づいたのに案に反して寒い。そして明け方4時半父島二見浦にフィニッシュ。ファーストホーム艇Crescent IVに遅れること半日と知り、その圧倒的なスピードに驚く。そして2時間半後にはBITTER ENDがフィニッシュし修正で2位に入る、終始デッドヒートを交わした裕介君以下クルーの面々の頑張りに頭が下がる。我々は3位確定。一番長い航跡を残してしまった。

フィニッシュ後シャンパンで乾杯
フィニッシュ後シャンパンで乾杯

フィニッシュラインでは出迎えのチャーター漁船、そして前回大会で友人となった地元の漁師関さんの船が迎えてくれた。我々のフィニッシュでは見ることが出来なかったが、他艇の話では停泊中の海上保安庁の巡視船「みかづき」の電光掲示板に「500マイルを越えて小笠原へようこそ、小笠原レース2025」の文字が流れていたという。なんと粋な計らいではないか。完走し小笠原にたどり着いて本当に良かったなあ、と感じる瞬間だったと思う。

Thetis-4フィニッシュ(小笠原レース実行委員会撮影)
小笠原海上保安庁巡視船「みかづき」の歓迎メッセージ(小笠原レース実行委員会撮影)

体験乗船会・表彰式

中学生体験セーリング
中学生体験セーリング

他のレースでは見られない小笠原レースの特徴ある伝統の一つが島民との交流だ。島民体験乗船会、地元中学生の課外授業としての体験セーリングが企画され実行されてきた。前回大会では当時の海上保安署長の誤解による横やりのため直前に中止となり大騒ぎになった。今大会では、実行委員会メンバーによって事前に国交省、海上保安庁の担当部署との打ち合わせ、小笠原村や漁協、小笠原ヨットクラブ等関係部署とのすり合わせを行っていただいたことで、前回の轍を踏むことなく滞りなく進めることが出来た。小笠原レース実行委員会はレースそのものの運営だけでなく、島民交流事業の推進についても大きな役割を担っている。我々は艇を出してセーリングするだけだが、多くの人がかかわるこうした事業の組み立ての努力には本当に頭が下がる思いがする。

表彰式もこのレースの特徴の一つだ、我々、500マイルを走り切ったレースメンバーに対し島民の皆さんからは心からの歓迎の意を示してもらった。表彰式前後のスチールバンド演奏、ハワイアンダンス、小笠原太鼓の演奏等、はるばる島に来た者たちを歓迎する数々のアトラクションが用意され楽しい時を過ごした。優勝艇Crescent IVのクルー一人一人の首には美しいレイがかけられ、本当にうれしそうな同艇のクルーの笑顔が印象的だった。

そしてもう一つのこのレースの特徴は、必ずと言っていいほど荒れる海、八丈島から南350マイルは避難できる場所が一つも無い、その海をしっかり渡り切ってフィニッシュしたレース艇クルーを讃えることだ。今回から走り切ったクルー全員に完走者を示すリストバンドが授与された。そこには「Ogasawara Race2025 Finisher」と記されていた。

完走者リストバンド
Thetis-4は3位

ランデブー艇との交流

今回はレースと並行して小笠原ランデブーが企画された。レースには出られないが、クルージングの目的地として小笠原には絶対行ってみたい、仲間がいれば心強いし入港後のサポートも期待できる、として2艇が参加してくれた。須磨ヨットクラブから「あかね」36ft、伊豆の安良里からの「ジェニファー」54ftだ。この2艇は島民体験乗船会にも表彰式、スポンサーパーティーにも参加し、レース艇メンバーとも大いに交流を深めた。レース、クルージングと目的は違っても、この海を越えてくる者の共感があった。

小笠原ランデブー参加の「あかね」
小笠原ランデブー参加の「ジェニファー」

帰路

完走した6艇のうち3艇がエンジントラブルでサポート漁船に横抱きされて入港してきた。一艇はクラッチが入らず、次の艇はプロペラが回らず、3艇目は異音がしてストップ・・、1艇は復旧したが、1艇はクラッチギア破損、1艇はプロペラブレードの脱落と結構深刻な事態となった。レースは完走できたが帰路は更に大変な困難に直面し、修理してから帰るか、セーリングで本土まで帰るか、という難しい選択を迫られていた。夫々に解決策を考え対応することになったが何とか無事に戻ってきて欲しいものだ。 Thetis4は5月2日、中学生の体験セーリングを終えてから直ぐに出航することにした。180マイル先にある孀婦岩を見て帰ろうとすると翌日の日没前までにそこに着く必要がある。出航後、低気圧がちょうど真上を通過する予報だったが、追手なので大きくリーフして走ることにし出航した。案の定、出航早々40kt超の風と大粒の雨にやられたが、順調に足を延ばすことが出来、何とか5月3日、日没前に到着することができた。

海底から屹立する約100mの独立岩、孀婦岩を回るのは3度目となる私だが、その荘厳さは何度見ても変わらない。クルー全員が思い思いに撮影しながら一周回るのだが、誰も一言もしゃべらない、畏敬の念にうたれた誰もが沈黙しかなかった。

前回は八丈島に寄港、温泉を楽しんで帰ったが、今回は寄らずに帰ることにした。風は前に回ることなく順調に艇を前に進めてくれたが、波は収まらず時々飛んで来るスプレーに乾きかけたオイルスキンもすぐ濡れる、そして日にさらされることを繰り返すうちオイルスキン自体が塩田状態となり、白くキラキラ光る塩が美しい、太平洋ブランドの塩だ。

そして5月5日、伊豆諸島の島々の間を巡りながら最後のレグを走る、晴天そして穏やか、潮は追い潮、旅の終わりにふさわしい快適なセーリングをエンジョイしながら午後8時32分小網代に入港、往復1000マイルの旅を終えた。


Thetis-4 小笠原レース2025成績:総合3位(着順3位)
所要時間:89時間41分30秒(3日間17時間41分30秒)

Thetis-4クルー紹介ページ(小笠原レース2025公式サイト)

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