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Les Sables – Horta – Les Sables
往復ダブルハンドレース
復路参戦記 ~後編~ 
西村一広

Les Sables – Horta – Les Sables 復路

 

アップウインドスタート

3日間、北田スキッパーとともに体調を整え、7月14日午後5時に気持ちよくオルタ沖のスタートラインを飛び出す。
アップウインドになったスタートは、自分が舵を持たせていただいた。
ストレートラインを高速で走るクラス40は、オープン60やクラスミニ6.50のようにツインラダーを持ち、適正なヒール角でセーリングした時に風上側のラダーが水面上に出るように設計されるため、ラダーの深さは結構浅い。そしてなおかつマストは通常のヨットよりも後ろ目に位置している。それなので、ジブを開かずにメインセールだけでトロトロ走っているスタート前などは特に、タッキングの後は結構多めにメインシートを出さないと、ラダーが効かずに操舵不自由に陥る場合がある。

スタートラインとスタートでは、このことに気を付けつつ、かつ、クラス40のコミュニティーにおける<貴帆>の「愛されキャラ」にダメージを与えないことに気を配った。クラス40コミュニティーに昨年新入りした<貴帆>は、北田スキッパーの気配りによって、いつの間にか多くの先輩クラス40セーラーたちが援助の手を差し伸べてくれる「愛されキャラ」を獲得している。

シングルハンドレースやダブルハンドレースのスタートでは、全艇が人手不足状態なので、マッチレースやフルクルーのレースのスタートのように、ルールを駆使したややこしい動きをする艇がいると、無用な混乱を生じてしまうし、危険でもある。「愛されキャラ」としてははそんな原因を作ってはならない。

Les Sables – Horta – Les Sables復路スタート

スタートしてそのまま左に伸ばしたいのだ、という意思表示で風上側から突進してくる艇の進路を邪魔せずにそのまま行かせ、スタート前からの計画通り早めにタックを返して、広い右海面を先に走る。ウオータータンクに水を入れてもいいようなコンディションだが、ポートタックの間は、念のためにそれも控える。ここは安全第一だ。

スタート後2時間。
スタート前日からの北田スキッパー、コーチのジャンとの打ち合わせ通り、2、3日後に250マイルほど北を通過する予定の低気圧に向かって、スターボードタックで北上を開始している。
なんか、ちゃんとフリートの、少なくとも前半分には入っている感じ。
ま、こんな感じでいきますか、と北田スキッパーと話す。

最初の夜に、途中経過で1位に出たこともあったようだが、周囲に見える航海灯に比べてスピードが劣ってはいないが、優っている訳でもない。スピードがある時にも、スピードがない時にも、その理由がわからないもどかしさがある。クラス40の経験と勉強が足りないことを痛感する。

北田スキッパーのナビゲーションに従って、できるだけスピードを維持しつつ、北への距離を伸ばす作戦を続行。

2晚目の大失敗

スタートの翌日には、予報通り風が落ち始めて風向も不安定になって来た。レースフリートはかなりバラけてきたが、全体として北に向かって、低気圧通過予想緯度を目指している。風が不安定ながら後ろに回り始め、ジェネカー(かつてのコードゼロをクラス40ではジェネカーと呼び、かつてのジェネカーはAセールなどと呼ばれることが多い)やAセールを揚げたり降ろしたり張り替えたりが続く。

2晚目が明けて、パソコンの画面でレースフリートの位置を見てみると、<貴帆>は大きく遅れを取っていた。前日の夕方からこの日の朝方にかけて、ジェネカーの選択を間違えてばかりいたのだ。自分の責任だ。
これはレースの後半になって学んだことだが、風向と風速の変化が大きかったその2回目の夜、自分はミディアムジェネカーを挙げるべき時にA2を揚げ、A2を挙げるべき時にミディアムジェネカーを揚げた。そのことで、トップ集団から挽回できないくらいの差をつけられた。
これは世界トップクラスのオーシャンレーサーが参加しているダブルハンドレースなのだと、改めて思い知った。

天気図が海図上にオーバーレイして、<貴帆>の最適コースが示されるナビゲーションソフトの「Expedition」の画面を見ると、北上するフリートの一番前を走っている艇から順番にいい風が入って来て、トップ艇団と後続グループの差は、どんどん広がっている。
結果から言うと、復路の大局はここで決まってしまった。気象予想のヨーロッパモデルも北米モデルもほとんど同じで、しかもそれが見事に当たり、最初の北上競争に取り残された艇は、その時点ですでに勝ち目はなかったのだ。

トップ艇団が所期の緯度まで到達して、コースを90度くるりと東に転じて、フランス沿岸に向かって怒涛のブロードリーチングで走り始めた後も、「Expedition」は我々に、トップ艇団と同じような緯度まで北上を続けてから東に転進するよう指示した。
確かにその時点での、フィニッシュ予定の日時までの風予想が当たる限り、それが<貴帆>が最短時間でフィニッシュラインに到達できるコースなのだろう。しかしそれでは、<貴帆>は自分のコースレコードは作れるだろうが、レースの順位を挽回することはできない。先行艇はその緯度まで到達した艇から順番に、まるでロケット台から発射されたような勢いでスピードに乗って東に向かっている。<貴帆>が北上している間に、先行艇団からさらに差をつけられることだろう。

北田スキッパーと十分に話し合い、先行艇団が受けている風と自分たちが受け始めている風の違いを分析し、「Expedition」が指示する緯度に到達する前に、東へと転進することに決定した。実際の強風域が、気象モデルよりも南下する可能性に賭けて。
こうして書いていて、「賭ける」とはなにごとだと思う。
ヨットレースの教科書に照らし合わせても、すでに<貴帆>が勝つ可能性は少ない。レースで「賭け」をしてはいけないのだ。賭けるしかないようなこの状況に陥ったのは、何日か前のセール選択のミスであり、それは自分の責任である。

最後まで来なかった逆転のチャンス

少しにがい思いを胸に、ヨーロッパ大陸に向かって東に進み続ける。しばらくは人間の勝手な振る舞いに怒っているようにみえた「Expedition」も、再び気を取り直したかのようにウエザールーティングに基づいたコースを指示し始めた。
<貴帆>も23〜25ノットの風を受け、15〜17ノットの艇速でセーリングしているのだが、北のほうではもっと強い風が吹いているらしく、そこにいる艇群は我々よりも常に1ノット、2ノット速いスピードで離れていく。コンスタントに1ノットの差があれば、1日に24マイルずつ遅れていくわけで、これではまったく手に負えない。

それと、レースをしながら気がついたもっと重要なことがある。
ダウンウインドセールにしても、メインのリーフにしても、例えば風が少し落ちたりすると、トップ艇団のセーラーたちは間髪を入れずに大きいセールに替えたり、リーフを1段解除していた。
それに対して自分などは、本当に風が弱くなったのか、もう少し見極めましょうという理由で、後になって思うと、即時に必要だったセールチェンジをワッチ交代までの1時間か2時間延ばしたりもした。必要を感知するやいなや即セールチェンジをするのと、ワッチ交代まで待つのでは、それこそ距離にしてひとワッチ3時間で2マイルや3マイルの距離がすぐについてしまう。
この積み重ねが、今回のレサーブル・オルタ往復ダブルハンドレースの<貴帆>の復路の順位になったのだった。

今回のレースは、自分としてはスタートから北田スキッパーとのコンビネーションもよく、艇の上ではまったくストレスのないセーリングができた。北田スキッパーのナビゲーションには全幅の信頼を寄せることができたし、デッキワークも、ほとんど2人での練習をしなかった割には、まあ、それが理由でそれぞれの作業に慎重に、多少時間はかけたが、トラブルもなく、順調にレースを進めることができた。そのことには完全に満足し、かつ北田スキッパーに感謝している。

レース後 (左)北田スキッパー (右)筆者

レースを終えて

自分がレース中考えていた「トラブルなく完走することが大切」という言い回しは、自分の手抜きセーリングを自分が容認することに繋がったのではないか、と猛反省している。

ヨーロッパの一流のシングルハンドやダブルハンドのオーシャンレーサーたちは、フルクルーでのレースに限りなく近い精度で、限りなく近い完璧さでセーリングし、かつ、寝る時間を惜しんで、高度なレーシングナビゲーションをしている。

これが、今回のレースで、先行艇のレース展開を地団駄踏みながら観察して、身に滲みて学んだことだ。

彼らは、必要なときにはワッチの時間に関係なく オールハンズ、もしくはシングルで、タイムラグなく、もっとも適切なタイミングを逃さず、セールチェンジなどの作業をしているはずだ。

今回のレースで学んだことを、できるだけ早い機会に、JORAの活動に役に立つ形でフィードバックしたいと願っている。

西村一広

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